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幸せと老後
[幸せな老後とは?」と、このところどこの本屋を廻っても各種うず高く積まれた書籍で騒々しい限りだ。そもそも老後と幸せとでは余りしっくり結びつかない言葉同士だと思う。幸せはわかるが老後とは余りいみがわからない。たとえ年齢としては数は多いかもしれないが、それにしても老後とは全く嫌らしい言葉である。老いとは衰退する事を云うのではなく前にいく事だ。たとえそれが死に向かって行く事で有るとわかってはいても前進以外には人の行く道はない。なぜなら[死」は人間の宿命であり、神々の宇宙の摂理だからだ。前進するにはどう...
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2010/06/16 16:17 |
「気配」
良い写真は、必ずその作品を見る人々にその作者の発する、ある気配を感じさせるものである。なんとなく、その作品がある強い力で訴えかけてくる様子を語っているものの様に思われる。ただこうゆう場合でも真面目に写真に対峙しないと、作品と云えるものはなかなか生まれにくいと思って間違いはない。そして作者の想いが更に写真を見る人強くに迫ってくる事もないし、見る人々にもその気持ちがない場合などではなかなか、この気配を受け止める事さえも難しい事になるかもしれない。
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2009/10/30 17:10 |
「熱い想い」
今度首相になられた鳩山氏は良く「思い」「私の思い」等と「想い」という言葉を良く使われる。「音楽を思う心が無いと指揮棒はふれない」とは名指揮者岩城宏之氏の思いであろう。写真家の上田義彦氏は「写真に命を宿らせる」と自分の写真を表現した。自分の考えを大事にして自分を信じて映像に命を宿らせると云う。これも「熱い想い」に通じる訳だ。
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2009/10/22 20:32 |
[演出」
「人形使い」は人形を動かそうとして人形を動かす事は無い。実は人形が動くのを待っているのである。人形の役を自分の胸の中にしっかりと収めて人形自体が自然に動こうとするのを待ってから操ると云う。正にこれは写真を「演出」する際の金言ともなる様に思う。演出する事は演出しない事であり、かの名優緒形拳氏の云う「演技する事は演技しない事」だとの言葉にも通じる。至言と云えるのではなかろうか。
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2009/10/22 18:30 |
「プロとアマ」
写真家は現場に立つ思想家だと云う。まず現場に立ち合わなければ写真は撮れない。これは当たり前の話。思想家とは何か?自分自身の中に ある思想を持って写真を撮ろうとしているかいないかがプロとアマの違いであり それが写真に出てこないといけない。又プロとは必ずあるテーマをかざして写真を撮っている。アマとの大きな違いの一つはこれだと思う。
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2009/10/21 17:18 |
粋
写真家の木村伊兵衛は生前良く「粋」ということを気にしていた様である。「どう この写真粋だろう?」とか何かを見て「粋だねー」と云った事を良く云っていたそうである。人に見えない所で努力するのが「粋」ということの要素だが、頭で色々考えるより、粋な生き方が良い様に思う。
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2009/10/16 16:09 |
「ソフトの時代」
写真家の秋山庄太郎の伝記を読んでいると、彼もアマチュア上がりで写真を始め、自費出版で「かげ」を世に出し、兵隊時代は苦労して戦地でもこれを上官に隠れてページをくりながら自らを慰め、これを抱いて死にたいと思った程で遺写とも云っている。戦後近代映画社に入社し数々の女優達を撮影して有名になったが社長の売れる写真を撮れとの方針にもめげず自分の納得のいく写真の撮り方を貫いて社をやめ それが高度成長時代になって逆に好評をはくし成功した。 この例を見るまでもなく、これからの時代に写真界はハードの面が増々発展する...
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2009/10/15 20:01 |
視点
「写真館の写真」などという、けちな枠をはめないで、もっと自分の撮る写真そのもの、を大切に考えて写真界に生きる一員としての自覚の上に立つ覚悟が必要な様に思う。勿論ビジネスのno howとか人物写真の撮り方とか、に必要以上に拘る事も大切だがそれ以上に社会現象とか世界的な変化の様子とか 人々の生き方 暮らし方などなどに目を向けていく方が仕事の役に立つ様に思えてならない。
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2009/10/15 16:20 |
フレキシビリティー
一部の写真の業界ではカメラはデジタルがいいか、アナログがいいかと不毛の論議を続けている。これはおかしい。どちらも必要だし、どちらも役に立つ。要はその使い方、使用目的経済性、利便性によって選べばいい事。これにつきる。丁度自分の服装を正装で決める方がいいか、カジュアルスタイルがいいかと決めかねている場合と全く良く似ている。要はそのt,p,oに依って決めれば良いだけ。その融通性、フレキシビリティーつまりその時その時の対処の仕方こそ大切にすべきだと思う。
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2009/07/04 16:27 |
新展開への要望
現在までにもう語り尽くされてきている大方の表現方法、イメージ、テーマ、方法論の二番煎じが今の写真展、写真集など、プロの写真でも、余りにも多過ぎる様な気がする。もっとニューアライブな、つまりもっともっと新しい写真の方向性を求めているものがほしいとアマチュアながら俺は、何時も考えている訳である。勿論内容も優れているものをね。もうプロの写真展は飽きて来たね。写真する限界が来ているのかな?
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2009/05/16 16:09 |
ツール
写真は道具、ツールの一種だ。それ自体が目的とは云えなくなって来ているのかな?それどころか、何を表現しているのか、何を意味しているのか、さっぱりわからない写真など、もう見たくもないね。反対に余りにもわかりきった事でしかない表現とかテーマの写真は、もう邪魔だけの存在でしかないのかな。もう写真展はつまらないから、あまり見に行くのはよそうか?
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2009/05/16 15:14 |
ぼうけん
写真界に冒険心が欲しい。
目新しいだけでもいい。珍奇で受け狙いだけのものでもいい。これらに内容をともなっていれば更にいい。海外からの引き
写しでもいい。内容が共なって居れば又、更にいい。兎に角俺は「はっとする写真」がほしいとアマチュアながらプロ写真家諸君に求めるや、せつである。現状ではもう写真展はあまり見に行きたくないよね。
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2009/05/13 16:16 |
被写体としての人に対する配慮
人の写真を撮る時、すべての人々は必ず良い面,余り魅力の無い面,むしろ撮ったら幻滅を感ずる面、など様々な面をカメラの前に曝け出す。カメラは忠実に、いや忠実すぎる程レンズを向けた部分を、忠実に映し出す機械である。カメラマンの希望や期待などにはなんの考慮もするはずがない。カメラは機械、つまり道具。しかもそれを撮るのは通常猿ではなく人間である。だからカメラを向けて写真を撮ろうとする人間はその意図を強く持ってその意思に最も添った写真が撮れる様に日頃
習練を重ねる事が必要になるだろう、これは自分の意志を全...
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2009/04/04 16:49 |
作家達の写真
明治大正昭和平成にかけて大方の文士画家書家各分野の作家は概ね余り写真を撮られる事は好まない様な感じだしむしろ敬遠する傾向があったのではなかろうかと思う。理由はやはり写真を撮られる対象となるのは余り好きではない様だ。面倒だ。時間を取られる。無理な演技をさせられる。大体が好ましく撮られる確率が低い。などの原因があるのではないか。ならばその反対に対処すれば良いと思う。つまり面倒をかけない。すぐ終わりにする。演技は必要ない。普段通りで良い。出来るだけ仕事の邪魔はしない好ましく撮るように努める等であろう。...
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2009/04/04 15:24 |
続営業写真
更にこの様なクライアントの依頼に応えて写真を撮るものの長年の絶えざる努力や習練或いはおうおうにして突然訪れる依頼者との絶妙の間の取り方の工夫そして被写体の中心に突っ込んでいける勇気などなど、必要になってくる様々な諸要素は誠に多きに渡って及ぶ事になるのである。
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2009/03/20 21:08 |
営業写真
いわゆる営業写真とかナントカ云われている一般顧客の依頼を受けて撮る写真は,写真としての技術上の問題もさる事ながら、その依頼者の意向を無視する事は、けして出来ない。しかし又ひるがえって考えてみると,その依頼者の気に入る様に撮るといった、おもねる姿勢は厳につつしまなければならない。なぜだろう?このあたりのかねあいは誠に複雑なものがある。なぜなら、「気に入られるように」などと考えながら撮ると、出来上がった写真は間違いなく品のない風格にとぼしいものになりさがるからである。ならば、今度は自分の思う通りに自...
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2009/03/20 20:07 |
肖像写真
人に、或いは人々に依頼されて撮る肖像写真では人々の殆どはこう云う。「自然に撮ってほしい」これが正に金科玉条と云っていいだろう。又人間は誰でもが「うぬぼれ」がある。ブティックなどでよく使われている鏡は「うぬぼれかがみ」と云われる。自分が良く見える、自分をうぬぼれてみせる鏡として特殊な作り方がされているのは,どうも事実の様だ。このことは正に依頼されて撮る肖像写真の基本原則はうぬぼれであることを証明している様なものだ。更に依頼写真の支払いは勿論依頼者自身である。だからどう撮らなければならないかは自動的...
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2009/03/18 20:15 |
写真と絵
写真は一発勝負である。その時その時の写真家の感性の発露が写真となる。絵の様に長い時間をかけて、思考を交えながら、塗り重ねていく表現とは全く違うものだと思う。体の動き,反射神経などと同時に、その場の空気を瞬時に読み取って作品にする。云ってみれば居合い抜きの様な早技が必要になる。又この様な撮り方でないと感心する様な作品も生まれてはこないと考えている。只この「空気を読む」ということ、誤解しないでほしい。
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2009/03/16 12:15 |
年齢的なものも本来基礎として加味されてくることは確かだろう
人間的な巾と云ったが、これはやはり年齢的なものも本来基礎として加味されてくることは確かだろう。誰しも人間が生きてきた事は無駄に生きてきたことには決してならない。人間が人間の写真を撮るという事は、その撮る人が被写体の人間的な巾と同等以上のものがない場合,余り感心出来る様なものが生まれたためしがないということだ。
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2009/03/15 17:52 |
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東京都 写真館
お宮参り写真館
デジカメプリント
プロの写真家
感動の写真家
商品撮影
写真館 入学
広告写真
七五三
家族写真
入学
卒業
成人
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2009/03/15 17:24 |